胡蝶の翅 (お侍 拍手お礼の二十八)

 

表情が薄いのは、長いこと感情要らずでいたから。
冷静寡黙なのは、長いこと言葉要らずでいたから。
物心ついてすぐにも戦さ場へ放り込まれ、
言葉遣いや行儀より先に、刀の扱い方を叩き込まれ。
高々と天穹の戦さ場を舞い、
死にたくなくばと、心凍らせて人斬りとなった身。
そんな大戦の終焉は、
戦さしか知らぬ身から生きる術
(すべ)を奪ったようなもの。
時間
(とき)は停滞し、
彼の心を、意志も意識も深い深い水底へと沈めて、
永劫凍らせたままにして、そこへと置き去るかに思えたものが。

 『お主、サムライか?』

いきなり吹きつけた風に煽られて、
彼を取り巻く世界と時間が、音を立てて動き出した。
それまでの朋輩との決裂を見、
空の匂いがする男を追って、自ら踏み出したその足元からは。
鮮烈なまでの危うさや殺伐とした緊張感ではなく、
現実というものの確かな手ごたえと活性の息吹が伝わって来た。
そこには、戦さがはらむ冷ややかさを余裕で上回る、
彩りという光と 大地に根付く者らの体温があったから。


  風の匂い、陽の目映さ。
  煌月の妖、星影の寂寥。
  せせらぎは清涼、稲穂は風にくすぐられて躍り。
  それらの連綿と紡ぐ囁きの中、
  見上げれば空をゆく雲が大地に陰を落とす。
  戦さに備える日々を送りつつも、不思議と心は絆されて。
  馴れ合うつもりなどなかったものが、気がつけば…。





  ◇  ◇  ◇



ひょいと肩へ掛けられた襟巻きの、顎先まで埋まる大きさや暖かさ。
指先しか覗かないほど、丈の大きな羽織のその残り香に、
どうしてだろうか、胸が温
(ぬる)んで…切なくなる。

  斬るためにとついて来たのに、どうして。
  そんな相手へまで懐っこい貌を向ける?

  こっちは帯刀したままなのに、どうして。
  そんなまで無防備に懐ろへと掻い込める?

体温を分け、心宥めて思惟を深めさせ。
月の色、風の匂い、木葉擦れの囁きを拾わせて。
そんなことをして何の利がある?
死びととばかり縁の深い身なのはお互い様。
なのにどうして、この男の懐ろはこんなに温かいのか。

  「? どうした?」

何か言いたげな、歯痒そうな顔をしおってと、
他愛なく苦笑をし、小首を傾げる彼の耳朶で、
蓬髪に紛れた飾りが鈍く光る。

  「…。」

初見でああまで尖って斬りつけた、同んなじ相手だってのに。
こうして掻い込まれると、どうしてだろか、
血も騒がぬままに温かい。


  温かい…。

  あの彼がいつも傍らにいるからだろか?


口が利けない仔犬のように、困り顔をして視線を向ければ、
同じような困り顔になってしまい、

 『もうもう、そんなお顔をして。』

どこか辛いのですか?と髪を梳いてくれる人。
かぶりを振れば“嘘おっしゃい”と肩を抱いてくれる人。
自分よりも上背もあるのに、
胸にも二の腕にも、雄々しくも頼もしい筋骨がしなやかに備わっている筈なのに。
懐ろの中はほわりと柔らかで暖かで。
どこまでもやさしく包み込んでくれて。
そおと見上げれば、光を集めたみたいな青い瞳が見つめ返してくれて。

  ――― ああ、これって何だろう。

花のような甘い香りと屈託のない笑顔と。
衒いなく懐ろに入れてくれる、やさしい人の柔らかい温もりに、
どうしてだろうか、喉の奥がきゅうと詰まって苦しくなる。

  胸がいたいの、胸がくるしいの。
  何というものだろう。
  誰か判ってくれないか。
  ねえ、これって何?
  甘くて暖かくて、なのに、つきんつきんと切なくて。
  言葉を知らないのがもどかしい。
  上手く言い表せられないのが、歯痒くて苦しい。

居心地いいのに、苦しくて。
戸惑ってばかりいた、そんな頃。
彼の人は心得顔で微笑ってくれて、


  ――― 言って伝えるのが難しいことへと、
       胸塞がれて居たたまれなくなったなら。

  『いつだっていいから此処へおいでなさい。』


理路整然、判ってもらえることで安堵出来、
胸底までスッとして落ち着くものではありましょうが、

 『キュウゾウ殿は、ちょっと不器用さんだから。』

気持ちとか形の無いものを言い表すなんて、
今の今まで知らなかったのだもの、出来なくたってしょうがない。
当人よりもその心を知っていての言い当てて。
眉を下げて苦笑を見せてのそれから。
おでことおでこ、こつんことくっつけて。

 『こやっているだけでも少しは違うでしょう?』

むず痒いのが少しは収まるものでしょう?と、
温みを分けてくれての、
ね?と 嫋
(たお)やかに微笑ってくれた彼は、
昏い双眸をしたこの男を、慕ってついて来た人でもあって。

 「…。」

人との関わりは迷いを招くと、実地から教わった。
選択肢を徒に増やすとロクなことはないと、息絶えた同朋の亡骸が語ってた。
常に一つ、常に己だけ。迷いたくなくばそれが一番だと。
それでも得られぬものならば、己さえ捨てよ。
心凍らせれば寒くはない。
抱くものが無ければ双腕が自在になる。
気勢の鋭を削がれることもなく、どこまでも高みへと駆け上がれるとの教え、
守ったからこそ生き永らえたが、そんな自分に果たして何が残ったか。
少なくとも、彼のように温かい者から慕われる奇縁は拾えなかった。

 「…。」

自分はこの蓬髪の彼のよに、生をしぶとく永らえようか。
それとも幽玄な殻の身を、持て余しての、失速して早逝するか。
風に撒かれて躍るには、あまりに薄脆な胡蝶の翅。
その身を庇うか、それとも……。





  〜Fine〜  07.6.24.


  *いかっち様の『恋侍』さんに掲載されてあった(6/19)
   キュウゾウさんのそれはそれは切なそうなお顔に、
   他愛なくも骨抜きにされてしまいましたvv
   雨に濡れた仔犬のような、
   あんなまで切なげなお顔をされて見つめられたなら、
   シチさんなら居ても立ってもいられないだろうなとか思いまして。
   でもって…おっさまだったら、
   心当たりはないけれど一応謝っとこうだなんて、
   余計な気を回して話がややこしくなるかも知れませんね。
   構ってほしかっただけなのに、
   謝るということは何か疚しいことがあるのだろうって。
(笑)

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv

ご感想はこちらvv

戻る